家内の祖母は本当に毅然とした方でした。85歳にしてがんで亡くなりましたが、最後まで一人暮らしをして、さらにだれからも惜しまれながらなくなっていったすばらしい人物だったと思います。そして、その葬儀に際しても自分でプランして遺言を残して逝きました。
下見をしたらしいのですが、親族みなが一晩、火葬するまではみながわいわいがやがやしながら集まって騒ぐことが出来る斎場を選んでいたのです。実際には子供世代、孫世代、そしてひ孫世代までみながその斎場で一晩、祖母について語り合い、お酒を酌み交わしながら、祖母をしのびました。本当に隣に亡くなった祖母がいるとは思えないくらいのみなの盛り上がり。こうしたみなが集まれる場所を自分の死をきっかけにつくりたかったというのが祖母の願いだったのかもしれません。家族葬を松原で行ったことは一生忘れないと思います。
あれから既に5年がたちますが、わたしも自分の死に際しては同じようにできるだけ多くの方々に集まってもらえるような場作りを目指したいと思います。